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2008年07月04日

モータースポーツ&電動レーシングカート 理科教育、そして、ゆとり教育の終焉

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 僕はこれでもエンジニアなんですね。電機メーカーで機械工学を中心にシステム開発を主体とした研究を行っているわけです。


 ですが、教科書を読むのが大嫌い。理論式も見る気なし。


 会社に入って一番読んだ本は、実践ビジネス書と司法試験の教科書です。次に歴史書ですかね。


 会社での得意技はトラブルシュート。


 動作不良になった装置の不具合原因の特定、設計どおりに動作しない箇所の改良です。


 もちろん、会議では仕様書や理論式が飛び交いますから、お付き合いできる程度の知識はありますよ(笑。


 でも、そんな議論でトラブルが解決するなんて、よほど初歩的なミスでなければ、1〜2割くらいでしょう。


 トラブルなんて、単現象で起きることの方が珍しいくらいですから。


 だから、僕は「さっそく装置で遊んで見よう!」と言うのが口癖。


 たいがい原因は、装置に様々な動作をさせることで絞り込めます。


 ただ、僕が会社で扱っている装置はサブナノメーターの位置制御、光学検出を行う装置ですので、測定器が無いと現象を目の当たりに出来ないのが不便ですけどね。


 さてさて、本サイトでは電動レーシングカートの開発を進めているわけですが、あまり計算式について論じていません。


 いずれ少しは整理しようと思っていますが、基本的には「試して見る」を主体に進めていきます。


 それは、本を読んで頭で理解する方法は、同じ時間を費やしても得られる情報量が少ないからです。


 


 最近は小学3年生まで理科教育が無いんですが、それよりも理科教育の内容にはもう少し期待したいことがあります。


 現象を体感してから理論を示す。理論といってもイメージで充分でしょう。


 体感する理科ですね。


 TVなどで著名な米村伝治郎さんが非常によい理科教育の姿を提起されています。


 発明においても「結果のあとに理論をこじつける」発想が合理的だと、若いエンジニアに向けてよくアドバイスされます。


 科学とは自然現象を自分や社会に役立てる行為です。


 理論を講釈するために、あるいは本にまとめる為の物ではありません。


 見たことも無い不思議な現象や、日頃「不思議だな」と気付いている現象を体感しながら、イメージでその理論を理解してもらうことが理科教育の柱になれば良いと思っています。


 その先は、子ども達個々の「必要性」に応じて深く学ぶか、そこまでにするかを決めさせれば良いでしょう。


 現象と理論的イメージがあれば、必要となったときにあらためて詳しく調べることは可能なのですから。


 どれだけ不思議な現象を経験したかが「子ども達の幅」を広げる。今は映像でしか認知する機会が得られない子ども達が多いのですから。


 


 私の仕事の進め方もまさにこれです。どんな現象が出てくるのか?徹底的に現象を出し尽くして、そのあといくつかの理論イメージを仮定し、それぞれに適した対策を施して結果を得る。


 上手く行った対策が正解です。正解はこれだ!と対策を施してもまず成功することはありません。


 


 ところで、ゆとり教育の実質的失敗の宣言と、かつての受験戦争時代のカリキュラム復活が国政として議論されているようです。


 失敗の宣言はまあ聞いておいても良いかなと。ただ、失敗したのは学校ではなく家庭教育です。


 親が子どもに学ぶ(いたずらをする)環境を与えなかった。


 学校はいたずらに真摯な姿勢を示しすぎたため、教育は全て学校の責任だと多くの関係者が錯覚した。結果、「体罰」なるあいまいな定義まで生み出して、指導現場を混乱させた。


 と、考えています。


 ただ、今さら昔の教育カリキュラムを復活させるのは明らかに間違えていると思っています。


 円周率を3⇒3.14にすることに何の意味があるのでしょうか?授業時間を増やすことに何の意味があるのでしょうか?


 それよりも、危機感を感じるほど「大きく欠落しているもの」があるじゃないですか。


 「人生を全うする」ためのカリキュラムです。


 今どれだけの大人が生き抜く方法に迷っていると思いますか?


 9割以上の大人はリタイアした先の人生のことを実感を持って理解できていません。


 貯蓄と年金で安心して残りの人生を生き抜いて行けると信じているのでしょうか?


 その根拠はなんでしょうか?


 自信を持って答えられる大人がどれだけ居るでしょう?


 そして、そんな「生きる術を曖昧にしか理解できていない大人」の二の舞を「今の子ども達」に「正しい生き方」として教え続ける気なのでしょうか?


 大人、子どもといった区別もそろそろ取り払わなければいけない時期でしょう。


 そして、若い世代の人たちが「自分で生きる」ことが出来る力を養う教育を、最優先課題として取り入れて欲しいと思います。


 もちろん、そんな教育は「理論自体が無い」のですから、先ほど言った通りにするしかありません。


 カリキュラムとして「お金の稼ぎ方、活かし方、自分は何のために寿命を全うするのか」を体当たりで実践するということです。生徒個々に全く異なった答えが出てくるでしょう。そして、教師もいっしょに学ぶ。教えようとするのではない教育です。ここで言う教師とは学校の先生だけではなく、いえ、ご両親の方が重要な役割を担うんですよ。そして教師自身が悩み苦しむ姿を生徒達に包み隠さず見せ、時にはいっしょに考えるんです。


 それこそが、「みんなが主役」になれる社会の礎になっていくものと信じています。


 


 




posted by papacchi at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 3.モータースポーツと教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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